本條流の歩み

 
 

1971年 - 創流

本條流は、古典を守るだけでなく、その本質を深く見つめ、新たな表現へとつなげるために創流された。
本條秀太郎は、三味線という一つの楽器に宿る多様な可能性に着目し、各流派の技法や各地の民謡に息づく音楽性を学び、その精神を「俚奏楽」として流儀曲の中核に据えた。
土地に生きる音、人々の営みの中から生まれる音楽を大切にしながら、それらを礎として本條流独自の芸風を築き上げてきた。

 

 

1972年〜1999年「本條秀太郎の会」

1972年10月15日、東京・よみうりホールにて
「本條秀太郎の会」が始まった。

以後1999年の第26回に至るまで続いたこの演奏会シリーズは、本條秀太郎自身の音楽活動の軌跡であると同時に、本條流の芸風と理念を形づくる重要な歩みでもあった。

古典の研鑽を礎としながら、その根源を深く掘り下げ、さらに三味線音楽の新たな可能性を切り拓くことを目指し、流儀曲である「俚奏楽」をはじめ、多彩な作品や試みに取り組んだ。

その探求の積み重ねは、本條流の芸風を豊かに育み、伝統と創造を往還する現在の流れへとつながっている。

 

 

1985年

本條流の歩みとともに、「本條會」は流派の発展と門弟たちの研鑽の場として続けられてきた。

東京では大規模な本條會が催され、しばしば国立劇場大劇場をはじめとする大舞台において、本條流の芸の集大成が披露されてきた。

また、各地に稽古場を持つ門弟たちを中心に、地方でも本條會が開催され、それぞれの土地に根ざした活動を通して本條流の芸が全国へと広がっていった。こうした積み重ねは、本條流の伝統を受け継ぐとともに、新たな世代へとつなぐ大切な営みとなっている。

 

 

本條流の芸の広がり

本條流の根底には、端唄・座敷唄に見られる都の洗練された情緒と、民謡・鄙唄に息づく土地の声がある。三味線という一つの楽器を通して、都市に育まれた粋や間、言葉の味わいを大切にしながら、同時に各地の暮らしの中から生まれた音やリズムにも深く耳を澄ませてきた。

本條秀太郎は、そうした民謡・鄙唄の精神をさらに現代へと展開し、「現代民族歌謡」という新たな表現領域を切り拓いた。その活動の一つとして生まれたATAVUSは、古くから受け継がれてきた土地の音楽を、現代の感性とともに再び響かせる試みであり、本條流の創造性を象徴する歩みでもある。

また、本條流は伝統的な歌ものにとどまらず、三味線現代曲にも積極的に取り組んできた。古典に培われた技と音色を礎としながら、三味線が現代音楽の中でどこまで表現を広げられるのかを探求し、楽器そのものの可能性を押し広げている。